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徳島地方裁判所 昭和36年(ワ)69号 判決 1963年11月15日

原告 氏橋栄子 外二名

被告 徳島協同運送株式会社

主文

被告は原告氏橋栄子に対し金二七五、八三四円及びこれに対する昭和三十六年三月一七日から完済にいたるまで年五分の割合による金員を、原告庄野敦子、同庄野龍治に対し各金二〇五、八三四円及びこれに対する昭和三六年三月一七日から完済にいたるまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

原告らのその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを五分しその二を原告らの負担とし、その三を被告の負担とする。

この判決は原告栄子において金七〇、〇〇〇円、原告敦子、同龍治において各金五〇、〇〇〇円の担保を供するときはその勝訴部分にかぎりかりに執行することができる。

事実

(請求の趣旨)

被告は原告氏橋栄子に対し金五二八、四〇〇円及びこれに対する本訴状送達の翌日から完済にいたるまで年五分の割合による金員を原告庄野敦子、同庄野龍治に対し各金四二八、四〇〇円及びこれに対する本訴状送達の翌日から完済にいたるまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。訴訟費用は被告の負担とする。との判決及び担保を条件とする仮執行の宣言を求める。

(請求の原因)

一、原告氏橋栄子は訴外亡庄野隆の妻で夫隆の死亡により婚姻前の氏に復したもの、原告庄野敦子は右隆の長女、原告庄野龍治は同じく長男である。庄野隆及び原告らは昭和三五年三月当時原告栄子の本籍地である徳島県板野郡大麻町板東に居住していた。

二、隆は徳島市西船場町三丁目一三番地のオートバイ販売業有限会社坂野商店の販売係として勤務していたが、同月六日午前〇時過頃友人の河崎清文操縦の第二種原動機付自転車(ホンダベンリー号一二五cc)に同乗して徳島市より自宅に帰る途中、徳島県板野郡北島町鯛浜付近国道上において、同日午前一時頃、被告の被用者訴外青木和俊運転の被告所有トラツクの積荷である鉄材に衝突し、頭蓋骨、鼻骨、下顎骨、頬骨骨折、前額部割創、脳挫傷の傷害を受け、意識不明のまま同日午前二時北島町立病院において右傷害による失血多量のため死亡した。

三、右事故発生の情況はつぎのとおりである。

被告は事故前日の三月五日夜から所有トラツク二台を使用し、事故現場から約二〇〇米西方に所在する鉄工業大西工業所から国鉄徳島駅構内への鉄材長尺物(レール)輸送作業を代表者工藤光夫が数名の作業員を指揮し夜間作業によつてこれが積込を終り国道一一号線に出ようとしたが、国道から大西工業所に通ずる町道が狭あいで国道から同工業所に入つたトラツクは方向転換ができないため、積載後後進運転(バツク)のまま国道に出る方法により、先ず先に積載を終つたトラツク(以下一号車と呼ぶ)が国道に出て進路を南方(徳島市方向)に向け国道西側(進行方向に向つて右側)に停車し、青木和俊の運転するトラツク(以下二号車と呼ぶ)が積載後、一号車に続き前同様方法でバツクのまま国道にさしかかつた際、折から国道を北進(鳴門方向)して来た前記ベンルー号の運転者河崎清文は右二号車車体後方に数米突出しやや垂下つている積荷の鉄材に衝突寸前気付き、突嗟に同人は頭を下げて危く難を免れたが、後方に同乗していた隆は避けるいとまもなく顔面が鉄材に衝突し、ベンリー号は横転し、二人は路上に投出され、隆は即刻前記病院に収容されたが前記のとおり死亡した。

四、本件事故は被告のつぎにのべるような過失によるものである。

(一)  一号車の運転者の駐車違反

一号車は前記のようにその車体後方を深夜二号車が車体後尾に数米鉄材を突出させてバツクのまま国道に進入して来るのを知りながら徳島市方向に向い進行方向右側に駐車し、徳島市方向から国道上を進行する諸車の視界特に二号車後部より突出している積荷の発見及び二号車の動静の正確な認識を妨げた。

(二)  二号車の運転者の標識灯点灯義務違反

事故発生現場は徳島市と鳴門市を結ぶ重要幹線道路で深夜でも車馬の交通の絶えるところでないから、前記作業をする被告及び運転者は積荷の尖端その他に標識灯を点灯するとか通行者にこのような作業を行つている旨の適当な標識をする義務があるのにこれらをいずれも怠つた。

(三)  二号車の運転者の運転操作(後進)不適当

二号車の運転者は一号車が三叉路南側に右側駐車をしているのを知り、または知りえた筈である。それで自ら又は助手をして国道上の交通状況を十分確かめ、かつ、通行車両等に対し適当な警告を与え、また臨機に避譲するなどの措置をとるべきであるのに、これらをいずれも怠つて危険な後進運転で三叉路に進入しもつて本件事故を発生せしめた。

(四)  被告会社代表者工藤光夫の誘導不適当

工藤は一号車(運転者広沢寛、助手扶川吉一)及び二号車(運転者青木和俊、助手吉田実)の二台の大型トラツクの運転を現場にあつて指揮、監督誘導していたが、一号車に対し前記(一)のような違法駐車をさせ、二号車の長尺物の積荷の尖端(車両後端から三米一五突出している)に対し警戒灯の点灯を前記(二)のように怠つたほか、事故発生直前に吉田実と共に二号車の北側におり二号車と道路標識との接触のみに気を取られ国道の南北の監視を怠り国道上の通行車両の安全誘導を怠つた。

本件事故は、以上の各過失の競合によるものであつて、被告は右(一)ないし(三)の過失に基き、自動車損害賠償保障法第三条によりまた被告会社代表取締役工藤の右(四)の過失に基き商法第二六一条第七八条、民法第四四条第一項によつても不法行為による損害賠償義務を原告らに対し負うものといわなければならない。

五、財産上の損害額及び慰藉料の額

亡庄野隆は昭和八年二五日父庄野梶郎、母同かねの四男として出生し、昭和二八年三月徳島県立城北高校を卒業、昭和三三年七月二七日から事故前日まで前記のように坂野商店に勤務し月額一三、五〇〇円の給料を支給され死亡当時二六才六月の健康体の男子であつて、本件事故がなかつたとすれば少くとも後四〇年の余命があり、うち三五年すなわち六一才半までは勤労することができ、その間従前以上の収入を得ることができた筈であるが、かりに従前同様の収入と見て同人の生活費を一ヶ月五、〇〇〇円とみると差引一ヶ月八、五〇〇円の割合による三五年間の総計金三、五七〇、〇〇〇円の得べかりし利益を喪失した。これをホフマン式計算法によつて年五分の割合の中間利息を控除すると隆が被告に対し右得べかりし利益の喪失による損害の填補として一時に請求できる金額は金一、二八五、二〇〇円となる。

原告栄子は昭和三二年四月二四日隆と婚姻、原告敦子は同年七月三〇日、原告龍治は昭和三三年一〇月三〇日それぞれ出生したので、隆の死亡により妻又は子として右請求権の各三分の一宛すなわち金四二八、四〇〇円宛相続した。

右の他原告らはその世帯主として物心両面において一家の中心柱であつた隆を失い、結婚二年にして未亡人となつた原告栄子、幼少にして父を失つた原告敦子、同龍治らの精神上の苦痛は深刻にして筆舌に尽し難いものであるが、これを慰藉すべき金額は原告栄子において金二〇〇、〇〇〇円、原告敦子、同龍治において各金一〇〇、〇〇〇円を相当と考える。

六、右の次第で、被告は原告栄子に金六二八、四〇〇円、原告敦子、同龍治に対し各金五二八、四〇〇円の支払義務を有していたところ、原告らは昭和三五年五月二一日自動車損害賠償保障法に基いて金三〇〇、〇〇〇円の給付がなされ原告栄子名義で受領したから相続分に応じ右三〇〇、〇〇〇円の三分の一宛すなわち金一〇〇、〇〇〇円宛前記請求権から控除した残額つまり原告栄子は金五二八、四〇〇円、同敦子、同龍治は各金四二八、四〇〇円宛及び右各金員に対する本訴状送達の翌日から完済にいたるまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるため本訴に及んだ。

(被告の答弁に対する認否)

被告の答弁事実上、被告所有の各車両(一号車及び二号車)の運転者に過失がなく、被告会社代表者工藤光夫の各車両の誘導操作に過失がなかつたとの主張及び亡庄野隆及び河崎清文がそれぞれ酩酊のあまり隆が清文に要請して無謀な高速運転をさせたとの事実はいずれも否認する。

(請求の趣旨に対する答弁)

原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。との判決を求める。

(請求の原因に対する答弁)

一、請求原因第一項の事実は不知、同第二項の事実は認める、同第三項の事実中、被告が事故前日の三月五日夜から所有トラツク二台を使用し事故現場から約二〇〇米西方に所在する大西工業所から徳島駅構内へのレール加工品輸送作業を代表者工藤光夫が自ら指揮監督して夜間作業によつてこれが積込を終り、各車両を相次いで国道上に進出せしめつつあつた事実、各車両共後進運転によつて右国道に進入した事実、二号車には車両後端から鉄材を数米も突出させて積載していた事実はいずれも認める、事故発生当時先行の一号車は三叉路南側の国道西側にあつたが、同車は原告主張のように駐車していたのではなく徳島市方面に向つて徐行中であつた、同第四項は争う、同第五項の事実は不知、同第六項は争う。

二、本件事故について被告側は尽くすべき義務を果しており何らの過失もない、却つて被害者たる庄野隆及び同人の乗つていたベンリー号の運転者河崎清文らのみの過失に基くものである。すなわち、本件国道は深夜にも多くはないがなお車馬の交通があつたので、本件鉄材の輸送に当つてはあらかじめ所管の警察署から夜間長尺物運送の許可を受け、一、二号車共各トラツクの両側及び後方の積荷の突出部分の尖端に一個宛赤電灯を取つけ、点灯し以て所定の危険標識を完全に施し、運転者にはそれぞれ助手をつき添わせ更には被告会社の代表者自ら現場にあつてその作業の指揮に当り危険防止に万全の措置をとつていた。これに反し亡庄野隆及びベンリー号の運転者河崎清文はいずれも大酒酩酊しており、制限速度に倍加する時速六〇粁ないし七〇粁の高速で暴走し来り、通常なら明らかに右トラツクの標識等を見て停車、徐行すべきところを酩酊のため気づかず本件事故を惹起するに至つたものであり、全く右清文の酩酊運転並びに暴走を要請した隆の重大な過失のみ起因する事故で被告並びにその被用者には何らの過失もない。事故直前の現場は交差点東北角に街灯がついており附近は相当明るく、交差点路上の東側の一部には電話工事中であり赤ランプの警戒灯がついており衝突個所から約一一米ないし二〇米前方を進行中の一号車の前照灯及び各車両に取つけた警戒灯により現場附近の状況、特に一、二号車にそれぞれ長尺物を積載していること、及び一号車の後方に二号車が存在することは通常の注意力のある者においては相当の遠距離から発見認識できうる状態にあつた、このような状況の下において南から北進する単車の運転者は先ず徐行し四囲の情況を充分注意しつつ進行を継続すべき義務があるといわなければならない。また清文が右の注意を尽くしたなら二号車後方の鉄材も道路中央までしか出ておらず、なお四米余りの幅を残している東半分の道路は自由に単車が通行できる余地があり、被告らも単車を安全に誘導しうる余裕があつたであろう。現に本件事故の直前にハイヤー二台が徐行して安全に通過しているのである。ところが清文は疲れていた上空腹でしかも入浴の直後にコツプ酒五杯をあおつてまもなく隆を後部座席に乗せて同人を坂東の実家に送るため単車の運転を開始し前記のような暴走の果、自らは突嗟に危難を避け得たものの同乗者の隆に死に至らしめるような傷害を負わせるに至つたのである。事実本件衝突は工藤や吉田が二号車を誘導中その後輪付近に一瞬注意を向けている間に発生したものではあるが、同人らはそれまで国道上の諸車の通行に注意していて別に危険な車両の近接を認め得なかつたし、二号車の後部北側にあつたときも普通の速力で自動車が近づいてくればエンジンの音又は警笛により直ちにこれを感知しうる状態にあつたものの余りの猛速力による接近のため工藤が単車のエンジン音を聞くのと衝突とは殆んど同時であつたのであり、計算上も単車の速力を六〇粁と七〇粁の中間の時速六五粁としても秒速一八米となり、かりに障碍物を二〇米位手前で発見しても強力なブレーキはかけ得ず、かりにかけ得たとしても転倒するか二〇米以上もスリツプすることは明白で事故の発生は免れ得ない。被害者にしてこのような情況であるから被告らにおいて本件事故を阻止することは不可能であり、もし工藤や吉田が二号車の南後方にいても右単車に警戒信号を送る余裕はあり得ない。おそらく単車に跳ね飛ばされて了つていたであろう。したがつて被告らが清文の運転する単車に対し更めて格別の警告を与えなかつたとしてもそのことと本件事故の発生とは因果関係はない、また、かりに被告らの措置について抽象的にはなおかつ何らかの要求されるところがあるとしても、道路交通の安全は相互の注意を前提としており、清文の暴走のような事態を予測すれば衝突防止のためには全交通を止めるより他はないであろう。この故に刑事責任の点においても清文は処罰されたが被告側の者はいずれも責任問題にならなかつたのである。

三、かりに、被告側に何らかの過失があつたとしても隆、清文らの重過失は当然斟酌されるべきである。

すなわち、清文の過失は前記のとおりであり、隆の過失は同人もコツプ五杯の酒を飲んでおり、運転者の清文も自己同様に飲酒して酔つており、しかも疲れを訴えていたことを承知しているのであるから、夜間このような者の運転する単車に同乗するのは危険であつてこれを避けるべきである。また、清文が途中猛速力で飛ばしていることに対し注意警告を与え制限速力である時速三〇粁以内の安全運転をさせるべきであるのに清文が吉野川検問所の所で時速五〇粁位で走つて来た速力を一応緩めかけたところ「かまわぬから飛ばせ」と逆に清文に高速運転を要請し、清文と共謀して本件事故の主因をなす単車ベンリー号の無謀操縦をしたのである。

(立証)(省略)

理由

一、請求原因第二項の事実及び右衝突は被告が前夜から所有トラツク二両(うち一両が青木和俊の運転の二号車)を事故現場より約二〇〇米西方の大西工業所に赴かせ右二両のトラツクをもつて同所から国鉄徳島駅構内へ鉄材長尺物(レール加工品)を輸送すべく代表者工藤光夫自ら現場指揮をして夜間作業により右積載を了し町道を後進運転して事故現場の国道一一号線との交叉点に進入させつつあつた折に発生したものであることはいずれも当事者間に争いがない。

証人青木和俊、同吉田実、同扶川吉一、同賀好常雄の各証言、いずれも成立に争いのない乙第一ないし第七号証、乙第一三号証乙第一五号証(各供述又は供述録取部分について措信しない部分を除く)、当裁判所の現場検証の結果及び被告代表者工藤光夫尋問の結果(措信しない部分を除く)を総合するとつぎの諸事実を認めることができる。すなわち、

被告会社は自動車による貨物運送業を営み右事故発生以前もしばしば板野郡北島町所在の大西工業所から重量物の運送をしていたが、たまたま同夜は徳島駅ホーム待合所の屋根の支柱にするため鉄道レールをL字型に曲げて加工したものを積載すべく所管警察署よりの長尺物積載運送の許可を受けて大西工業所において一本の重量一屯余の鉄材数本を前記各車両(一号車は八屯積、二号車は七屯積)の荷台に積込みその荷台をこえて左右及び後方に突出している部分の尖端付近にそれぞれ一個宛赤灯を取付け、点灯したのち一号車、二号車の順に相次いで大西工業所を出発し、町道を国道との交叉点(三叉路)に向い、途中同工業所の工場を出て直ぐの堤防上で方向を転換し以後はいずれも後進運転のまま東進し、被告会社代表取締役工藤光夫、一号車の助手扶川吉一及び二号車の助手吉田実が誘導して先ず一号車から国道にさしかかりハンドルを切つてその後部を鳴門方面に向け若干進行したのち停止して徳島方面に向け前進し前照灯を点灯したまま進行方向右側に前記交叉点南端よりその車体後端が数米南にあるような位置に一旦停車し、次いで青木和俊の運転する二号車が同様の方法で工藤及び吉田の誘導のもとに右交叉点に車体後部からやや後尾を右に振つて進入し、その車体後端から三・一五米斜左に突出した鉄材(地上高約一・一米)の尖端が舗装した車道の道幅が七・四五米の右国道の中心線にさしかかつた際、工藤及び吉田らの誘尋位置が同車の北側にあつて国道上の諸車等への注意がおろそかになつた折柄、南側国道上を酩酊の上被害者庄野隆をその後部座席に同乗させ時速六〇粁余の高速で南より北に向つて疾走し来つた河崎清文がその運転する第二種原動機付自転車ベンリー号をその進路を道路中央部に寄せて進行方向左側に対面して停車していた一号車及びその車体側方に突出した積荷を避けた後、進路を再び道路左側に戻して進行し一号車の十数米後方の二号車の積荷の数米手前に来てはじめて柱様の障碍物に気ずき急停車又はハンドルの切り逃げをするいとまもなく反射的に上体を前傾して自らは辛じて衝突の難を免れたが、その後部座席に跨つていた隆はこれを避けることができず、その尖端から一・二五米手前の鉄骨に顔を正面衝突し、衝突個所より約七米北方の道路上に投出され、前記のような致命傷を負い直ちに附近の北島町立病院に収容されたが受傷後一時間余にして失血多量のため死亡するに至つた。また、隆はその職業柄かねてから単車の運転に従事していたが、事故当日はたまたまかつて車の購入を勧誘したことのある友人の清文と逢い、共に酒を過すうち自宅への列車の最終便に乗りおくれ同人に単車で自宅まで送つて貰うよう要請し、同人の運転するベンリー号の後部座席に跨り深夜の国道を北に向つて驀進し、途中吉野川橋北詰の検問所附近まで来た時清文が減速しようとしたのを制止し、却つて“とばせ、とばせ”と暴走を勧め酩酊気味の清文に前記の如き高速度で疾走させて本件事故を招いた。

証人井川与平、同北村チカエの各証言中警戒灯が事故発生当時点灯されていなかつたとの供述部分及びその他の各証言中前記各認定にそわない部分、殊に当時一号車が進行中であつたとの部分二号車が停車中であつたとの部分、吉田らが無事誘導しえたと主張する徳島市方面から鳴門市方面に向け現場を通過した乗用車の存在を裏付けようとする部分等はいずれも信用しない。他に右認定を妨げるに足る証拠はない。

およそ、深夜といえども車両の通行が絶えない道路を車体後尾から三・一五米もはみ出すような長尺物(鉄骨すなわち鉄道用レール)を積載したまま横路(町道)より本道路(国道)をやや直角または斜に後退し、照明が十分でない右道路をたとえ一時的にしろ殆んど道路を遮断して諸車の通行をふさぐような運行方法をとらなければならない本件のような場合にはその運送に携わる運転者、助手はもちろん、その事業者である被告会社において自己の後退車両を誘導するだけでなく、その道路を進行する一般車両に対し或は停車の処置をとらしめ或は徐行をさせて右後退車両を避けて無事通行をなしうるよう右後退車より相当離れた前後の道路上において燈火信号その他相当な方法で右後退車との衝突の危険を未然に防止する処置をとらなければならないのにかかわらず被告使用の運転者広沢寛は前記一号車を本件道路右側に停車させて前方より進行してくる車両からの見通しを妨げたのみか、右二号車(後退車)を誘導していた被告会社代表者工藤光夫と二号車の助手吉田実とは前記衝突した単車の進行してきた方向とは反対の北側にあつて漠然後退車(二号車)の誘導のみ注意をうばわれ、また右国道上を通行する車両の危険を防止すべき立場の一号車の助手扶川吉一は前記二号車の国道乗入れ操作がいまだ終わらないうちにその地位を離れて一号車に乗車しようとし、いずれも前記の必要な処置を怠つた。その結果、前記単車運転者河崎清文並びに被害者隆の過失と相まつて前記の衝突事故を引き起すに至らしめたのである。

従つて本件事故につき被告代表者工藤光夫並びに運転者広沢寛及び助手吉田実、扶川吉一らの過失にあつたことは、明らかである。

そうだとすると、被告は自動車の保有者としてこれによつて生じた隆の死亡による有形無形の損害を賠償する義務があるものといわなければならない。(被告は清文らの猛速力による暴走が唯一の原因でそのため被告らにかりに落度があつたとしても結果発生との間、因果関係を有しない旨主張するが、前認定のような情況の下においてはたとい清文の暴走がなかつたとしても一号車と二号車の関係位置、態勢等からして傷害の結果の大小はともかく衝突ないし転倒等の事故発生は避けられないものとみなければならない。)

二、よつてこれが数額を判断するのに、亡隆が昭和八年八月二五日出生し、昭和二八年三月県立城北高校を卒業し、昭和三三年七月二七日から坂野商店に勤務し月額一三、五〇〇円の給料を支給され、死亡当時二六才六月の健康体の男子であつたことは成立に争いのない甲第一、第二号証、乙第一〇号証、証人庄野梶郎の証言によつて成立を認める甲第三号証及び原告氏橋栄子本人の供述によつてこれを認めることができ、右認定を左右するに足る証拠はない。死亡当時満二六才六月の健康体の男子が事故死に遭わなかつたならば少くとも後四〇年の余命があることは統計上明らかであり、そのうち三三年半、すなわち満六〇才までは勤労することができた筈であること及び右勤労可能期間中少くとも前記月額一三、五〇〇円以上の収入を持続することができたであろうこと並びに同人生活費が一ヶ月六、〇〇〇円である(前記死亡当時の標準によつたものである。すなわち標準生活費は国民の平均所得並びに物価の高低により変動し、現在わが国民一人の標準生計費は約七、七〇〇円であるが本件被害者がもし生存していたとすれば生計費の高騰にともない収入もまた増加していた筈であるにかかわらず、便宜上現在及び将来得べかりし収入を死亡直前の収入に固定して計算したので生活費も当時の額に従つたのである。)ことはこれを推認することができ特に右推認を妨げるような事実は認められない。

そうだとすれば隆は少くとも差引月七、五〇〇円の割合による三三年六ヶ月間の収入計三、〇一五、〇〇〇円に相当する得べかりし利益を喪失したものというべく、これを別紙のとおりホフマン式計算によつて年五分の割合の中間利息を控除すると一時に請求する場合の金額は金一、七六八、七六二円(以下円未満切捨)となることが計数上明らかである。

しかしながら前記隆の過失も賠償額をきめるに当つては斟酌すべきであるから、右金額の一〇分の六を減じ被告に賠償させる金額を金七〇七、五〇四円とするのが相当である。

原告栄子が右隆の妻(昭和三二年四月二四日婚姻)で夫隆の死亡により婚姻前の氏に復したものであり、原告敦子、同龍治がそれぞれ右隆の長女及び長男であることは成立に争いのない甲第一、第二号証によつてこれを認めうる上他に亡隆の相続人は認められないので原告らは隆の前記賠償請求権につきそれぞれ法定の相続分である三分の一にあたる金二三五、八三四円を相続したものといわなければならない。

つぎに本件事故により原告らはその世帯主として物心両面において一家の中心であつた隆を失い、結婚後僅か三年足らずにして二児を抱えた未亡人となつた原告栄子、いずれも幼くして父を失つた原告敦子、同龍治の精神上の苦痛が筆舌に尽し難いものであろうことは推認するに難くはないが諸般の事情を考慮するときはこれを慰藉すべき金額は原告栄子について金一四〇、〇〇〇円、原告敦子、同龍治について各金七〇、〇〇〇円とするのが相当である。

三、よつて被告は原告栄子に金三七五、八三四円、原告敦子、同龍治にそれぞれ金三〇五、八三四円を支払うべきところ、原告らに対し昭和三五年五月二一日自動車損害賠償保障法に基いて金三〇〇、〇〇〇円の給付がなされ、これを原告栄子名儀で受領したことは原告らの自認するところであるから、被告は前記債務額から原告らの相続分に応じ右給付金の三分の一すなわち金一〇〇、〇〇〇円宛控除した原告栄子に対し金二七五、八三四円、同敦子、同龍治に対し各金二〇五、八三四円及び右各金員に対する本訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和三六年三月一七日から完済にいたるまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を付加して支払う義務があり、原告らの本訴請求は右の限度で理由がありこれを認容すべく、その余の各請求は失当として棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第九二条、第九三条、仮執行の宣言について同法第一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 依田六郎 伊藤和男 吉田宏)

別紙

ホフマン式計算

或期間内のうべかりし利益の現価=単位期間のうべかりし利益×(1/1+利率+1/1+2×利率+1/1+3×利率+………)

上記括弧内の数価は期間33年半すなわち402ヶ月利率年5分の時は法定利率による単利年金現価表により235.83506587従つて

本件原告らのうべかりし利益=7,500円×235.83506587

=1,768,762円994025

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